絶対に忘れない!阪神淡路大震災!あれから23年!

どうも、ちゅうたです。

 

阪神淡路大震災が起きた23年前。あの日のことを決して忘れることはありません。
毎年この時期になるとニュースやテレビで、慰霊祭の様子や追悼行事で遺族の方の
インタビュー映像が流れています。

 

それを観てはあの日のことが鮮明に思い出されます。

 

当時はまだ独身で実家に住んでいました。実家は、兵庫県ではありません。
でもすぐ隣町が兵庫県ということで僕の住んでた地域も震度5強から6くらいありました。

 

すぐ近所でも半壊した家もありました。

 

僕の実家は壊れはしませんでしたが、隣の家と屋根同士がぶつかるくらいに傾きました。
当然、家の中は本棚が倒れたり、ブラウン管の大きなテレビもひっくり返るは、
食器は割れて散乱するは、家の中も外も、壁はヒビが入って崩れてるところもあったほどです。

 

正直、死ぬかと思いました。大袈裟じゃなく本当にそう思いました。
その後も続く余震に母親は、完全に参ってしまい、家で一人になることを本当に怖がっていました。

 

あれから23年。。。あれだけの恐怖を感じたあの日の事を。。。少しづつ忘れかけています。でも、この時期になると鮮明に思い出されるんです。

 

震災の前の年に今の仕事に就いたんですが、まだ年明けということで仕事も少なく、震災の前日も当日も仕事が休みでした。まだ20代前半ということもあって震災前日も遊んでいて、家に帰り着いたのが震災当日の朝方でした。

 

今もはっきり覚えているんですが、家に帰ってから、スーパーファミコンのサッカーのゲームをしている時でした。まさにその時にあの地震が来たんです。

 

はじめは何が起こったかわかりませんでした。

 

下からドーンっと突き上げられるような揺れが来て。。。ものすごい勢いで家がグラグラ揺れ出しました。地鳴りのようなゴォーという今迄に聞いたことのない大きな音にこの世の終わりが来たのかと思ったぐらいです。

 

何が何やらわけが分からず完全にパニック状態でした。

 

とっさに隣で寝ている両親の部屋になんとか移動して、そこで立っていられずに両親の布団の上にひっくり返ってしばらくして、ようやく揺れがおさまりました。

 

母親は叫び続けてました。

揺れがおさまると母親は「外に逃げよう!また来る!早く、逃げよう!」
そう言って喚き散らしてました。とにかく電気のスイッチを引っ張たら灯りが点いたので
部屋の中を見回しました。

 

飼っていた犬が部屋の隅でぶるぶる震えて固まっていました。タンスの上に置いていたガラスの人形ケースが落ちて粉々に割れていました。その時に足の痛みにようやく気が付いて自分の足を見てみると血が。。。両親の部屋に来た時にそのガラスを踏んで足を切っていたんです。

 

でも、その事にはまったく気づきませんでした。寝ていたのならまだしも、起きてゲームをしていたぐらい目は冴えてたはずなのに。。。この異常な状況にいかに自分がパニック状態だったか後で思い知りました。

 

夜が明けてテレビに映る光景を観て。。。倒壊したマンションや崩れた高速道路。。。信じられませんでした。

 

こんな事が現実に起こるとは。。。それまでこんなに大きな地震は経験したこともないし見たこともなかったですから。

 

今思い出してもあの時、地震が起きてからの数週間は現実ではなく、どこか映画のような不思議な感覚でした。

 

それまでの日常では想像もできないような、非現実的な感覚でした。

 

地震から数日して緊急の仕事で神戸に行くことになりました。

 

神戸に向かう道中、西宮市に入って目に入ってきたのはくの字にへしゃげたマンションや
完全につぶれてしまった住宅、神戸に近づくにつれ街の状態はひどくなる一方。

 

国道2号線を走っていると両脇の民家の壁が完全になくなって、家の中が丸見えなんです。
普段通りの生活の一部が丸見え状態で。。。正直「8時だよ。全員集合」のセットを見ているようでした。
不謹慎な表現ですが当時は本当にそう思ったんです。

こんな状況を目にする日が来るとは。交通は完全に麻痺状態でわずか30km離れた
神戸の中心地に行くのに、4時間かかる始末です。

 

朝4時に大阪を出て神戸市内に着くのは8時過ぎくらい、帰りも家まで4時間は当たり前。
こんな状態が約1年続きました。

 

行く先々でいろんな話も聞きました。潰れた住宅の下から助けを求める声がしても、
すぐそこまで火の手が迫って助けようにも助けれず。。。どうしようもなかったと。。。
涙を流しながら話す人もいました。

 

そんな中、特に衝撃を受けたことがありました。震災の数カ月前に水道設備の修理に訪れた 神戸三宮のビジネスホテルが。。。跡形もなくなっていました。
その周りにも雑居ビルが立ち並んでいたのですが完全に瓦礫の山と化していました。
そのホテルで働いていた人たちはどうなったのかは結局わからずじまいです。

 

若い頃から神戸にはよく買い物に行ったりデートに行ったりとすごく身近な街でした。その神戸があんなことになるとは夢にも思いませんでした。

 

たった少しの違いでぼくの住む家は無事でした。たった少しの違いで多くの人が命を失いました。
本当に悲しい出来事です。

 

昨日のニュースで生まれて間もない娘と28歳の奥さんを同時に亡くした人の話を知りました。その人はなんとか瓦礫の中から助けられたけど娘と奥さんは瓦礫に取り残されたままあっという間に火が広がって。。。。。その人は今、いろんな学校で自分の経験を子供たちに伝えているらしいです。

命の尊さを伝えるために。

 

あの日何が起きて、何を感じて、何をしたのか。。。

 

それは亡くなった奥さんと娘さんが自分に与えた使命と思っている。そう話されていました。

 

その後も新潟や東日本、九州と日本中で地震が起きています。これからも起こりうるであろう大地震、いつぼくらも被災するかわからない天災。もちろんそれに備えることも大事ですが、とにかく今を精一杯生きていくしかないと思っています。

 

とにかくぼくらは生かされているんですから。

 

この時期が来るとそういうことを考えさせられます。

 

最後ですが震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

最新情報をチェックしよう!
スポンサーリンク